●文応の銅鐘(国指定重要文化財)
「武蔵国河肥庄新日吉山王宮奉鋳推鐘一口長三尺五寸大檀那平朝臣経重大勧進阿闍利圓慶文応元年大歳庚申十一月廿二日鋳物氏丹治久友大江真重」の銘文がある。
経重は重頼の曽孫。鋳物師丹治久友は鎌倉大仏の鋳造に参加した名工である。
銅鐘に刻まれた”河肥”の文字は、川越の歴史上とても価値の高いものである。
●円空仏一体(市指定文化財)
御丈一尺余の菩薩様。円空と養寿院との関係は不明である。
●岩田彦助儒葬墓(市指定史跡)
彦助は川越城主秋元但馬守の家老で、「秋元に過ぎたるものが二つあり、無の字の槍と岩田彦助」といわれたほどの人物である。
●堀河夜討図屏風(市指定文化財)
江戸時代初期の川越城主酒井重忠侯は、不思議なことに夜ごと矢叫(やたけび)や蹄(ひずめ)の音にやすらかな眠りをさまされていた。天下に豪勇をうたわれた重忠侯だったが、あまりに毎夜続くので、ある日易者に占ってもらった。すると、城内のどこかにある戦争の図がわざわいして、侯の安眠を妨げているという卦(け)がでた。そこで、さっそく家臣に土蔵を調べさせたところ、果して、堀河夜討の戦乱の場面をえがいた一双の屏風画がでてきた。さすがの侯も、ことの以外さに驚き、考えた末、日ごろ信仰し帰依している養寿院へ、半双を引き離して寄進してしまった。すると、その夜からさしもの矢叫びや蹄の音も聞えず、侯は安眠することができたという。現在でも養寿院では、このときの屏風を秘蔵している。筆者は住吉具慶筆と伝える。